公開日:2025.12.10

【専門家解説コラム】聴覚障がい者へのインタビューは「質問半分」が正解。「時差」が招くコミュニケーションの罠

  • リサーチャーコラム

多様性が尊重される現代において、マーケティングリサーチの領域でも「障がい者リサーチ」への需要は年々高まりを見せています。しかし、物理的なバリアフリーやアクセシビリティの向上を目指す企業が増える一方で、調査現場においては、対象者理解の不足からくる「すれ違い」や、表面的なデータ収集に留まってしまうケースが散見されます。

特に「聴覚障がい」に関するリサーチは、多くの企業担当者が抱くイメージと、実態との間に大きな乖離が存在する領域です。例えば、「聴覚障がい者=手話を使う人」というステレオタイプな認識のまま調査を設計してしまうと、真のインサイトには到達できません。

本コラムでは、障がい者リサーチの専門家としての知見に基づき、聴覚障がい者市場の構造的理解から、定性調査における具体的な設計論、そしてビジネス価値を生み出すための戦略的リクルーティングについて解説します。

 
 

市場構造の再定義:「サイレント・マジョリティ」の正体

まず、聴覚障がい者市場を捉える上で、定量的な事実を正しく認識する必要があります。一般的に「聴覚障がい」と聞くと、聴覚障がい者手帳を持つ重度の方や、手話を主要なコミュニケーション手段とする方々を想像しがちです。しかし、マーケティングの観点からこの市場を俯瞰すると、その構造はよりグラデーションに富んでいます。

日本国内において、聴力に何らかの不自由を感じている「難聴者」の総数は、推計で約1,300万人以上にのぼります。これは全人口の約10%以上を占める巨大なセグメントです。(出典:一般社団法人 日本補聴器工業会「JapanTrak 2022」https://hochouki.com/files/2023_JAPAN_Trak_2022_report.pdf

一方で、身体障害者手帳(聴覚)を所持している方は約35万人前後に留まります。(出典:厚生労働省「生活のしづらさなどに関する調査」https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/seikatsu_chousa_b_h28.html

さらに、その中で日常的に「手話」をコミュニケーション手段として用いているのは約6万人程度と推計されています。(出典:DINF 障害保健福祉研究情報システム https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/20121123sympo/lecture_a.html

この数字が示唆する事実は極めて重要です。すなわち、「聴覚障がい者へのアプローチ=手話対応」という図式は、市場全体のほんの一部を捉えているに過ぎないということです。

高齢化社会の進展に伴い、加齢性難聴を含めた「聞こえにくい人々」のパイは確実に拡大していきます。ビジネスの対象としてこの層を捉えるならば、手話ユーザーだけでなく、補聴器ユーザー、人工内耳装用者、そして音声文字変換などのテクノロジーを活用してコミュニケーションをとる層など、多様な「聞こえ」の状態を理解した上でターゲットを設定しなければなりません。ここを見誤ると、得られるデータは極めて偏ったものとなり、市場全体のニーズを反映しないリスクがあります。

 
 

テクノロジーが変えるコミュニケーションの「現在地」

リサーチの現場において、対象者がどのような手段で情報を取得し、発信しているかを知ることは、調査設計の根幹に関わります。現在、聴覚障がい者のコミュニケーションは、テクノロジーの進化により劇的な変化を遂げています。大きく分けて以下の3つの潮流を押さえておく必要があります。

  1. 音声認識アプリの台頭
    特に若年層や中軽度の難聴者の間で普及が進んでいるのが、スマートフォンの音声認識アプリを活用したコミュニケーションです。相手の話した言葉をリアルタイムでテキスト化して理解し、自身の発話で返すというスタイルが定着しつつあります。発語が明瞭な対象者であれば、この手法を用いることで、健聴者に近いスピード感でのコミュニケーションが可能になります。
  2. 補聴器の普及課題とポテンシャル
    補聴器の使用率は、日本国内の難聴者全体の約15.2%に留まっており、イギリス(53.0%)やドイツ(41.0%)と比較して著しく低い水準にあります。(一般社団法人 日本補聴器工業会「JapanTrak 2022」https://hochouki.com/files/2023_JAPAN_Trak_2022_report.pdf)これは高額な機器に対する公的補助の少なさや、装用への心理的抵抗感(煩わしさ、騒音など)が要因と考えられます。しかし、裏を返せば、今後の啓蒙や制度設計、デバイスの進化によって大きく伸びしろがある市場とも言えます。
  3. 人工内耳による「新しい聞こえ」の獲得
    国内で約1万人程度と絶対数は少ないものの、着目すべきは人工内耳の装用者です。特に近年は小児期に手術を行い、普通学級で健聴者と共に学ぶ子どもたちが増えています。彼らが成長し大人になるにつれ、手話を全く習得せず、音声言語のみで生活する聴覚障がい者の層が形成されつつあります。
    これらの技術的背景を理解せず、一律に「手話通訳の手配」を前提とした調査設計を行うことは、コスト面でも品質面でも最適解とは言えません。対象者の属性に応じた最適なコミュニケーション手段(情報保障)を選択することが、リサーチャーの腕の見せ所となります。

 
 

定性調査の現場論:情報保障のコストと「時間の壁」

実際に聴覚障がい者を対象としたインタビュー調査(デプスインタビューやグループインタビュー)を行う際、最も失敗しやすいのが「時間の見積もり」と「フローの詰め込みすぎ」です。
 
 

「半分」のすすめ

健聴者同士の会話と異なり、聴覚障がい者とのインタビューには必ず「変換」のプロセスが介在します。 手話通訳を例に取ると、以下の通りです。

  1. 「インタビュアーの質問」
  2. 「手話への翻訳」
  3. 「対象者の理解・思考」
  4. 「手話での回答」
  5. 「音声への翻訳」
  6. 「インタビュアーの理解」

 
これは文字通訳(要約筆記)にも当てはまりますが、このプロセスを経ると、実質的なコミュニケーション量は、同時間の健聴者インタビューと比較して「半分(50%)」、条件によっては「3分の1」程度にまで減少してしまうケースもあります。多くの場合、貴重な機会だからとインタビューフローに多くの質問を盛り込みがちですが、これをそのまま実行しようとすれば、一つ一つの回答が浅くなるか、時間切れで消化不良に終わります。

我々専門家は、事前にクライアントに対してこの「構造的なタイムラグ」を説明し、「本当に聞くべき核心的な問い」に絞り込むように提言する必要があります。
 
 

情報保障のコスト構造

また、コスト面への理解も不可欠です。手話通訳や要約筆記は高度な専門職であり、長時間の集中力を要するため、2時間のインタビューであっても複数名(通常2〜3名)のチーム体制での派遣が基本となります。そのため、一般的な調査と比較して、情報保障にかかるコストは相応に高額になります。

「なぜ通訳費がこんなにかかるのか」という疑問に対しては、単なる労働対価ではなく、正確なデータ収集のための「品質保証コスト」であるという説明が求められます。

 
 

真のインサイトを引き出す「戦略的リクルーティング」

最後に、調査の成功を決定づける「対象者の選定(リクルーティング)」におけるテクニックについて触れます。単に「聴覚障がい者であること」を条件にするのではなく、調査目的に応じて「誰に聞くべきか」を戦略的に設計することで、得られるインサイトの質は劇的に向上します。
 
 

「聞こえる」と「聞こえない」を行き来できる価値

プロダクト開発やUI/UX改善の調査において、推奨する一つのアプローチが、「人工内耳や補聴器を装用しており、かつ発話が明瞭なユーザー」をアサインすることです。

彼らは、デバイスをONにしている時は「ある程度聞こえる状態」であり、OFFにすれば「ほとんど聞こえない状態」になります。つまり、一人の人間の中に、二つの異なる聴覚環境を持っているのです。

「この通知音は、補聴器をつけていれば気づくが、外している就寝時などは全く気づかない」といった、環境変化に伴う具体的な困りごとやニーズを、言語化して比較語りできる能力を持っています。これは、生まれつき音が全く聞こえない方へのインタビューとはまた異なる、製品改善に直結する具体的かつ論理的なフィードバックが得られる可能性が高いセグメントです。
 
 

「発語」のスクリーニング

また、定性調査においては、対象者の「発語の明瞭さ」を事前のスクリーニング項目に含めることも有効です。音声言語での回答が可能な対象者を選ぶことで、通訳を介するタイムラグを短縮でき、より多くの情報を深掘りすることが可能になります。

もちろん、手話話者を対象とする調査も重要ですが、限られた時間で多くのフィードバックを求める調査設計の場合、こうした「コミュニケーション能力によるセグメンテーション」は、プロジェクトの成否を分ける重要な変数となります。

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理解のバリアを超えた「共感」を「戦略」へ

聴覚障がい者リサーチは、単なるCSR(企業の社会的責任)活動の一環ではありません。全人口の1割を超える潜在市場に対し、適切なサービスや製品を届けるための純粋なビジネス活動です。

しかし、そこには「聞こえのバリア」だけでなく、調査を企画する側と対象者との間にある「理解のバリア」が存在します。 コミュニケーション手段の多様性を理解し、テクノロジーの現状を把握し、現場で起こるタイムラグやコストの意味を理解する。そして、目的に応じて最適な対象者を戦略的に選び抜く。 こうした専門的なアプローチを経て初めて、表層的な「意見」ではなく、対象者の深層心理にある「インサイト」を引き出すことができます。

障がい者リサーチは、繊細な設計と専門的な知見が不可欠な領域です。我々リサーチャーには、クライアントと、当事者のリアルな生活実態との間に立ち、双方の翻訳者としてビジネス価値のある「解」を導き出す役割が求められています。

 
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執筆者
アスマーク編集局
株式会社アスマーク マーケティングコミュニケーションG
アスマークのHPコンテンツ全ての監修を担い、新しいリサーチソリューションの開発やブランディングにも携わる。マーケティングリサーチのセミナー企画やリサーチ関連コンテンツの執筆にも従事。
監修:アスマーク マーケティングコミュニケーションG

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【障がい者調査】定性・定量別調査事例10選

【障がい者調査】定性・定量別調査事例10選

現在の日本では、障がい者の社会参加やQOL向上への意識が高まり、多様なニーズに応える製品やサービス開発が求められています。アクセシビリティやユニバーサルデザインへの配慮が注目されています。

このような状況下で、障がい当事者の生の声やニーズを正確に把握する重要性が増しており、調査は非常に重要な役割を果たします。

本紙では、障がい当事者の調査における様々なリサーチ事例を、定性/定量調査の視点で厳選した10選をご紹介します。当事者の嗜好や行動、潜在的なニーズを的確に捉え、より魅力的な製品やサービスの開発・改善に活かせる内容となっています。

下記に当てはまる方にお薦めの資料です。
● 障がい者調査の事例を参考に、調査設計の精度を高めたい
● 過去の障がい者調査で期待する成果が得られなかった
● 障がい者調査の経験が浅く、どのような事例があるのかを知りたい

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難病・希少疾患患者への調査事例集

難病・希少疾患患者への調査事例集

難病・希少疾患の患者に対して調査を行う場合、定量調査であれば回答数が大切になってくるため、多くの患者さんの協力を得ていくことが重要です。

アスマークでは、当社が抱えるパネルからだけではなく、患者会との連携や疾患のインフルエンサーと連携したリクルートを可能としているため、難病・希少疾患の患者さんのリクルートについても実績がございます。

本紙では、当社で実施可能な「難病・希少疾患の患者に対する調査」の事例をまとめてご覧頂けます。

下記に当てはまる方にお薦めの資料です。
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● 難病・希少疾患患者への調査方法が知りたい
● 患者の声を生かしたマーケットイン開発がしたい

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【無料視聴】聴覚障がい者に聞いた「リモートワークとデバイス使い分け」に関するインタビュー調査

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近年、デジタルツールの大きな発展により、ネットを通じた多様な働き方が可能になりました。その一方で、オンラインでのコミュニケーションが促進される中でも、多様なユーザーに合わせたアクセシビリティやユーザビリティの向上にはまだまだ課題も残されております。

そこで今回は、聴覚障がいのある方がどのように仕事と向き合っているのか、「リモートワークの実態」についてインタビューを実施。
オンライン環境で円滑に働くための工夫、補聴器や人工内耳の活用、聞こえを補うツールへのニーズなど、幅広くヒアリングしています。

下記に当てはまる方にお薦めの動画です。
・アクセシビリティを考慮したアプリ・デバイス開発を進めている
・消費者のQOL向上に繋がる、デジタルの新ニーズを発掘したい
・聴覚障がい者向けのUI/UXテストを実施・検討している

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【リサーチャーコラム】外でアルコールを飲めない理由が「騒がしさ」?~障がい者調査の真実と、健常者調査との違い~

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ペイシェントジャーニーとは?実例や必要性、解決課題と企画への取り入れ方など紹介

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患者さんは、ご自身の病気や治療と向き合う中で、本当の気持ちに蓋をしてしまうことがあります。そのような繊細な心情を丁寧に解きほぐし、真のニーズを理解するために有効な事前課題が「ペイシェントジャーニー」です。

本記事では、患者さんの経験や感情の変遷を可視化するペイシェントジャーニーについて、その基本的なことから、製薬会社が抱える代表的な課題と解決策、マクロペイシェントジャーニーとミクロペイシェントジャーニーの実例、調査設計のポイントまで解説します。

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